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福岡地方裁判所 昭和38年(ワ)802号 判決

原告 奥羽質

右訴訟代理人弁護士 原口酉男

同 篠田龍谷

右訴訟復代理人弁護士 野林豊治

被告 新日本証券株式会社

右訴訟代理人弁護士 和智龍一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

(原告)

一、被告は原告に対し金一九、九七九、三九五円及び内金七、二四八、八〇八円に対する昭和三七年一月二四日から完済まで年六分の割合による金員を、内金一二、七三〇、五八七円に対する昭和三七年三月一七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、仮執行の宣言。

(被告)

主文同旨

第二主張

(請求の原因)

一、被告は証券取引法による証券業者でありかつ証券投資信託法による委託会社としての業務を営む株式会社であるが、福岡市天神町五五番地に福岡支店を有している。

二、訴外藤原秀男は昭和三四年一二月一日から被告の社員として福岡支店に勤務し、以来登録外務員として被告の営業目的達成のため株式売買及び投資信託加入の勧誘並びにこれに付随する株券及び投資信託受益証券並びに現金等の受渡しの業務に従事していたが、昭和三七年一月二四日頃から行方不明となり、現在もその所在は判明しない。

三、原告の損害

訴外藤原は昭和三四年一二月一五日頃から被告会社の登録外務員として原告方に出入りし、原告は同訴外人を通じて株式の買付、投資信託への加入等を行なってきたが、

1.原告は被告が特別な割安株の取引を特別上客に対する奉仕として正規のルートを通さずにしてやるとの説明であったので、その取引をするため訴外藤原に対し別紙第一表記載のとおり総額七、二四八、八〇八円の現金を預けたが、同訴外人はこれを着服横領し、

2.原告は右買入資金調達のため別紙第二表のとおり投資信託受益証券(以下投信証券という)を訴外藤原に預託していたところ、同訴外人はほしいままに右投信証券を山口弘道名義で訴外伸栄商事に担保として差入れ、これが時価で処分され借入金及び利息に充当されそうであったため、もしそうなると少額の担保に多額の投信証券が担保に入れられているため原告は非常な不利益を蒙ることになり、已むを得ず訴外伸栄商事に対して大商、大井、玉塚の各投信証券を一一、六〇九、七六五円で被告会社に買取ってもらい、その債務の弁済にあて、額面四、〇〇〇、〇〇〇円の投信証券の返還を受けるため五八〇、五八七円を支払った。

3.原告が訴外藤原を通じて被告会社に預けていた投信証券の額面額は合計一六、一五〇、〇〇〇円であったが、そのうち四、〇〇〇、〇〇〇円の額面の投信証券は返って来て残額一二、一五〇、〇〇〇円の額面の投信証券が満期になれば支払われることになっていたが、満期前に解約したため一一、六〇九、七六五円しか支払われず、その差額五四〇、二三五円を損失した。

四、被告の責任

証券会社の外務員が顧客から現金、証券等を預る場合はあくまでも証券会社の代理人として預り保管するものであり、その場合会社所定の正規の預り証、受領証等がなくとも証券会社と顧客との間の取引は効力を認めるべきであり、そうでなければ法律及び証券取引に暗い大衆投資家の保護に欠け、又証券会社は外務員により大きな利益をあげているのであるから、反面その行為によって生じた不利益も甘受するのが公平の原理に合致する。さらに、外務員が顧客のために保護預を受けている投信証券を担保に株式買付資金等を調達するため保護預解除、引換手続等をするのは証券を預ることの付随手続であり証券会社の業務の一環というべきであるから、原告と訴外藤原との間の前記取引は直ちに被告会社との間に生じているのである。被告会社は訴外藤原を原告宅に派遣するにあたり、福岡支店営業課長が同道して優秀な社員である旨紹介したため、原告はその言を信じて同訴外人を通じて前記莫大な取引に及んだのであるが、同訴外人はこれを奇貨として原告から預託を受けた現金、証券等を着服横領し前記のような損害を与えたものである。しかし、これはもっぱら被告会社の従業員に対する監督不行届によるもので、被告会社は原告が蒙った前記損害を賠償する責任がある。

五、よって、原告は被告に対し前記三の1の寄託金七、二四八、八〇八円、前記三の2、3の寄託投信証券の返還不能によって蒙った損害合計一二、七三〇、五八七円並びに内金七、二四八、八〇八円に対する昭和三七年一月二四日から完済まで商事法定利率年六分の割合による利息金及び内金一二、七三〇、五八七円に対する昭和三七年三月一七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求の原因に対する答弁)

一、請求の原因一、二は認める。

二、同三の冒頭の事実は認める。

1.の現金の授受があったことは知らない。被告が原告に特別な割安株の説明をしたことはなく、また証券取引業会の常識から原告が主張するような割安株などは存しない。

2、3の投信証券のうち大商投信証券五八回ないし七三回までの分を被告会社福岡支店が訴外藤原を通じ一旦預り受けたことは認めるが、これは後記主張のとおり既にすべて原告に返還ずみである。

玉塚証券、大井証券の投信証券を預ったことは否認する。

三、同四は否認する。仮りに原告と訴外藤原との間に請求の原因三のような現金ないし投信証券の授受があったとしても、訴外藤原は被告会社の外務員である立場を去って原告代理人として行為したものであり、被告会社には何らの責任はない。すなわち、一般に証券会社の外務員が顧客と金銭、証券等の授受をするときは原則として証券会社を代理するものと推認されるが、原告が寄託したと主張する現金ないし投信証券の額が巨額なのに対しそのことが原告宅に備付のノートのほかには被告会社の帳簿には一切記載がなく、またこのような場合証券会社が発行する正規の預り証、受領証等が一切なく単に訴外藤原発行の預り証のみが存すること、株式売買について原告は資金を交付するのみで自らその指定をしたことがなくその期間も一〇か月の長期に亘りしかもその間一度も被告会社を訪れたことがないこと、原告は右期間中藤原に対し総額四五〇、三〇〇円を御礼の名目で渡しており当時の被告会社の従業員の給与に比べ通常の単なる「御礼」にしては極めて高額に過ぎることその他の事情を綜合すると、訴外藤原は原告を代理して取引をしたものであり、被告会社には全く関係がない。

第三立証〈省略〉

理由

一、請求の原因一、二の事実は当事者間に争いがない。

二、〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

訴外藤原秀男は昭和三四年一一月末頃被告会社福岡支店に採用され以来被告会社の登録外務員として顧客の勧誘にあたっていたが、同年一二月頃妻の出産で面識を得ていた原告宅(産婦人科医)を訪れ被告会社との取引を勧誘し以後原告と被告会社は外務員藤原を通じて取引をするようになった。原告は被告会社と主として幸山妙子の偽名で(当時は偽名を使用する者が割合多かった)投信証券の買入れ、株式の売買を行なっていたが、当初は正式の手続をふんで取引が行なわれていた。すなわち、投資信託については顧客が証券会社に申込証拠金を払込むと証券会社から顧客に引換証(後に受益証券預り証と表題を変更。乙第一号証)が送付され(その際、同一タイプライターで銘柄別保管台帳が作成され、証券会社に保管される。乙第四号証)、右引換証は代金が完納され証券が顧客に交付されるのと引換に再び領収証とともに証券会社に戻され、その後顧客が証券会社に証券の保管を依頼する場合は証券会社が顧客に預り証(乙第二号証)を発行して証券を預り(保護預り)、その際保護預有価証券内訳帳を証券会社で作成保管し、その後顧客が証券の返還を求める場合は右預り証と引換に証券が顧客に返還される。他方株式売買の場合は証券会社が顧客の依頼で証券取引所において売買を成立させた場合は直ちに売買報告書が顧客に送付されその控を証券会社が保管し、顧客が取得した株券を証券会社が保護預りする場合もやはり預り証(乙第八号証)を発行し株券が返還されるのと引換に証券会社が取戻し、また株式の信用取引の際の保証金として顧客が証券会社に現金ないしはその代用として有価証券を預ける場合も証券会社は預り証(乙第九、一〇号証)を発行し、現金ないし株券が顧客に返還されるのと引換に証券会社が取戻し、その他株式売買には株式売付(買付)注文伝票が作成され、注文伝票、報告書、顧客勘定、受渡計算書、有価証券売買日記帳等が作成される。これら各種預り証、売買報告書の発行及び帳簿の作成は大衆投資家保護並びに正当な証券取引確保の見地から証券取引法、政令、通達等により証券会社に義務づけられ、毎年大蔵省当局の監査を受けもしこれに違反しているようなことがあれば営業停止等の処分もあり、証券取引所は大衆投資家に対し日刊紙或は業界紙で度々右手続の履践を呼びかけており、被告会社もこれに従い原告との取引には前掲乙号各証を作成していた。そこで、原告と被告会社との取引についてこれらの帳簿等で検討すると、投信証券については、昭和三五年七月一一日から昭和三六年一〇月七日までの間に原告が被告会社に預けたと主張する大商証券投信証券の五八回から七三回をその主張の口数、金額づつ順次買入れる申込みをし、昭和三五年八月一七日から昭和三六年一二月一六日までの間に順次代金を支払って証券を取得し、その内五八回から六二回及び六五回から六八回までの分を昭和三六年七月二七日被告会社に保護預りにし、そのうち五九回ないし六二回、六五回ないし六七回の分を同年八月二八日、五八回を同年九月一三日、六八回を昭和三七年一月一七日にすべて被告会社から取戻した。また、株式売買については被告会社は昭和三五年二月一七日から同年八月一九日まで原告の買付委託により証券取引所で買付約定をし、昭和三五年二月二七日から同年九月三〇日まで原告の売付委託により証券取引所で売付委託をし、その間昭和三五年五月七日から同年九月一五日までに原告は被告会社に取得した株券を保護預りにしていたが、同年五月一一日から同年一〇月五日までにこれらの株券はすべて原告に返還された。原告はその間株式の信用取引をし、昭和三五年二月二九日から同年六月二三日までの間保証金の代用として自己所有の株券を同年五月三〇日保証金として現金五〇、〇〇〇円をそれぞれ被告会社に預けていたが、これも同年三月四日から同年七月二七日までの間にすべて被告会社から返還を受けた。これらの取引はもちろん被告会社の外務員訴外藤原が被告会社を代理し、原告の担当者としてもっぱらその仲介にあたり、この頃までの取引は正常であった。

二、ところで、原告は訴外藤原に株式の信用取引の保証金として昭和三六年四月一一日から同年八月二二日までの間総額一一、三七二、四一八円その間返還されたものを差引くと七、二四八、八〇八円の現金を交付し、また右保証金の資金調達のため前記大商証券の投信証券五八回ないし七三回のほか玉塚証券及び大井証券の投信証券額面合計一六、一五〇、〇〇〇円を担保に日本証券金融から融資を受けるように依頼して交付したところ、同訴外人は右現金を着服横領しかつ右証券を寄託の趣旨に反し訴外山口弘道名義で訴外伸栄商事担保として差入れている旨主張する。前記認定のとおり大商証券の投信証券は被告会社に保護預りになっていたものの殆んどが昭和三五年一二月一六日までに原告に返還されているので、もし原告がこれらの証券を訴外藤原に預けたとすればその後と推認される。そして、成立に争いのない乙第三号証の一、二、証人西田哲男の証言及び原告本人尋問の結果によれば、前記大商証券の投信証券は訴外山口弘道の債務の担保として訴外伸栄商事の手に渡っており昭和三七年二月頃右伸栄商事から買取りを強く要求されたため、当時既に訴外藤原が行方不明となり原告からこれら証券の横領の事実を申立られていた被告会社は原告に買取申立書を提出させて(通常はそのようなことはしない)五九回ないし六二回を除いた投信証券を買取り、残りは原告が買取ったことが認められる。しかしながら、右現金及び投信証券の交付については前記認定のような被告会社の正規の預り証はなく、単に訴外藤原発行の預り証(甲第三号証の一ないし四、第四号証の一ないし一四)が存するのみで、これら預り証によれば現金約二〇、〇〇〇、〇〇〇円近くが一時に昭和三七年一月二二日(訴外藤原の行方不明直前)に、投信証券の殆んどが昭和三六年一二月一六日に預けられたような記載になっており、これをもって直ちにそのような事実があったとは認め難く、仮りにこれらが過去に小分けして授受されたものを一括して記載したものと解してもその年月日は不明であって前記証券会社の正規の預り証と異なり信用し難く、その記載内容も事実に反する部分があり(前記認定のとおり大商証券第六八回は昭和三七年一月一七日に原告に返還されているのに甲第三号証の一によれば昭和三六年一二月一六日に原告から訴外藤原に預けられたことになっている)、その他本件証拠を精査するも原告の主張する現金及び証券の授受自体真実あったかどうか極めて疑わしい。

三、のみならず、仮りに原告が主張するような現金及び証券の授受があったとしても、訴外藤原が被告会社を代理する立場でこれを授受したとは認め難い。すなわち、一般に証券会社の外務員が顧客と現金ないし証券の授受をする場合は特段の事情のない限り証券会社を代理する立場で行為するものと認めるのが相当であり、そのように解することが万一事故があった場合大衆投資家保護にも適うことにもなる。

ところが、原告の主張する現金及び投信証券の授受には正規の手続をふめば当然発行されるはずの預り証が全く存しないこと、原告は医師を職業とし社会的には比較的教養のある立場にあり加えて前記認定のとおり被告会社と以前に正規の手続による取引の経験がありながら後記のとおり巨額の取引を何ら正規の手続をふまずに行なっていること、原告の主張によれば右のように正規の手続をふまずに訴外藤原に現金ないし証券を預けたのは被告会社が同訴外人を「優秀な外務員である」と紹介しかつまた同訴外人が福岡支店の幹部の了解を得て上得意客である原告に割安株を斡旋するためであるということであったが、証人久保利夫、同平田忠二、同西田哲夫の各証言によれば被告会社福岡支店の幹部がそのようなことを了解した事実はないうえ、そのことの確認のために自ら関係者に事実を確めたこともなく、株式取引の実状から原告が主張するような割安株などは存せず、前記のとおり訴外藤原は入社後間もなく特に優れた外務員というわけでもなく昭和三五年九月頃当時の営業課長久保利夫が同訴外人の依頼で原告宅を訪れ原告に一般的なあいさつとして「同訴外人をよろしく頼む」程度のことをいったに過ぎないこと、成立に争いのない(同号証の二については原本の存在とも)甲第一号証の一ないし四及び前掲久保証人の証言によれば、投信証券の元本保証は法律違反ではないが通達で禁ぜられていたにもかかわらず、昭和三五、六年当時は投資信託ブームで証券会社の顧客獲得競争が激しく、被告会社では原則として取引高五〇〇、〇〇〇以上の顧客(全取引高の二、三割にあたる)に対して元本保証を行ない原告にも元本保証をしたことがあるが、当時福岡支店として原告が特別の上得意客というわけではなかったこと、原告本人尋問の結果によって成立を認める甲第二号証の一、二によれば原告が主張する割安株の売買は昭和三六年四月一〇日から昭和三七年一月二二日までの間に集中的に行なわれ、その取引の内容はすべてが即日売買により殆んど売値が買値を一株一〇円づつ上回りその利益を合算すると実に六、〇〇〇、〇〇〇円以上もの利益を上げたことになり、かつ原告から訴外藤原に対し右約一〇か月間中五〇〇、〇〇〇円近い御礼が支払われていることが認められること、証人渡辺一男、同本間邦逸、前掲証人久保利夫、同岡本誠之助の各証言によれば、甲第二号証の一、二記載の右株式の取引は取引の実情に鑑みまずあり得ずそのような取引があったことを証する正式の書類は被告会社に一切なく、原告から訴外籐原に支払われた御礼の額は月平均五〇、〇〇〇円近くになりこれは当時被告会社従業員のうち課長クラスの給与に匹敵し入社間もない同訴外人の給与をはるかに上回ること、等の事情を考慮すると、訴外藤原はもはや被告会社の外務員として行為したのではなく、原告から融資を受け原告の名義を用いて自己の計算で株式売買取引を行なったものと認めざるを得ず、いわゆる外務員と顧客との間に一般取引関係からする信用をこえる特別の個人的信頼関係が存する場合に該当するといわねばならない。特に前記諸事情の中で訴外藤原が原告から多額のリベート受領していること、原告はその取引によって巨利を得たことになること、その取引の異常さは決定的である。原告は前記正規の取引の際もその一切を訴外藤原に委せ、取引の内容については周知していなかった旨供述するが、前掲西谷証人の証言によれば少なくとも株式売買の際の売買報告書は必ず本人に直送されることになっており、また訴外藤原が行方不明になると原告自ら同訴外人に交付したと主張する投信証券を特定していること(乙第一四号証の一、二)その他取引高の大きさからいって、全く外務員に委せきりだったとの供述は信用し難い。有価証券の取引には高度の知識を必要とし、これに暗い大衆投資家が証券会社の外務員の不始末等で不当な損害を蒙らないように留意すべきであり、そのため証券業者に対しては証券取引法その他で厳しい規制がなされているのであるが、本件の場合、原告は当初正規の手続で証券取引を行なっていたものの、後に訴外藤原と謀り(あるいは甘言にのせられ)正常な取引を逸脱して利を得ようとしたところこれに失敗したものであり、訴外藤原は既に被告会社の外務員としての立場を離れて行為したものというべく、これによって原告が蒙った損害につき被告会社が責任を問われる筋合いではない。

四、以上のとおりであるので、原告の本訴請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大石一宣)

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